なだらかな曲線を描く丘で、それらはここを訪れる人々を無言で迎え入れる。
数多くの墓標。
共に戦った仲間の名前が刻まれた、物言わぬ一つ一つの石に、ディアッカ・エルスマンとアスラン・ザラは語りかけていた。
脳裏に浮かぶ、若くして散った笑顔。戻らない時間。この哀しみは、どんなに月日が流れようと、癒されることはない。ずっとずっと痛む傷だ。戦争で生き残った者が、胸に刻み続ける傷。奪い、奪われた哀しみの傷。 この場を訪れると懐かしさと同時に、心が疼く。きっと誰もがその疼きを抱え、二度目の戦後と呼ばれ始めた今を生きている。ディアッカも、そしてアスランも。
二人は整備されている細い歩道を、肩を並べて歩いていた。交わす言葉は少ない。ディアッカはちらりとアスランを見る。伏せ目がち歩く姿は、どこか頼りない。ザフトのアカデミーで初めて出会い、実に表面的な関係しか持っていなかった自分たちは、随分と変わったようにも思うが―――。個人の性格となると、話は別だ。ディアッカは小さく息を零す。言いたいことを吐き出さず、呑み込んでしまうタイプだと知っている。何もかも一人で抱え込んで、一人で解決しようとすることも。今回のこともそうだ。キラ・ヤマトのザフト入隊。彼の真っ白な軍服姿を見た時は、何かの冗談かと思った。けれど、冗談で終わらなかった、事実―――だった。

「昨日の敵は今日の友」

そんなフレーズを聞いたことがある。確かに二年前の大戦時、ディアッカはキラたち――アークエンジェル――と戦いを共にした。
あの時は、互いの心が同じ方向を目指していた。信頼関係が築かれていた。懐かしむ気持ちや、共に戦った仲間という意識。それは今もディアッカの胸の奥深くにちゃんとある。
しかし、だ。
始まってしまった二度目の大戦で、キラたちは少なくともザフト側に立ってはいなかった。連合の攻撃からプラントを護ってはいたけれど。
宇宙で最終局面を迎えた戦い。
正義を掲げる彼らが、プラントを撃たせるはずがない。美しい砂時計の形をした故郷を、護ってくれたことに感謝する気持ちは、もちろんある。が、彼らはオーブ軍であり、ザフトではなかったはずだ。なのに、そのオーブの制服を脱ぎ、今度はザフトの制服を着た男がいる。オーブの軍服で戦っていた男が、いとも簡単にザフトへ入隊をする。
突如、戦場に現れた白い戦艦と、白い機体。オーブが秘密裏に持っていた大きな力は、正しいのは自分たちだけだと宣言をするかのように、砲弾を落としてはいなかったか。そう、自分たちだけ、という理論。この混沌とした世界を救えるのは、自分たちだけであり、人々は自分たちだけを信じてくれる。
そういう考えでも持っていなければ、オーブ軍所属の男が、平然とザフトを選ぶはずもない。
否、そうではないのか。
全ては歌姫の思うツボ―――。
デュランダル議長の真実を暴くため。顔を表に出す。ラクス・クラインです、と名乗った女を前にして、世界は揺れ、人々の不安な心は救いを求めるように彼女へと向いた。事実、プラント政府は停戦後、彼女を評議会へと招いている。議長に、なるのだろう。そして彼女の横に立つのは、オーブの制服を脱いだ男。
気持ち悪い、とディアッカは思う。彼らが何の躊躇いもなく、プラントにいることも。評議会の最高地位に、君臨しようとしている女も。ザフト入隊に涼しい顔を崩さない男も。気持ち悪い。
この不快さにこれから纏わりつかれそうで、ディアッカは頭痛を覚える。
アスランは―――。
キラのザフト入隊を知った時、そうか、と呟いただけだった。両目を見開き驚いていたが、あきらかな動揺はなかった。
もしかしたら。
ラクスが評議会の招きに応じると分かった時には、キラのことも予想をしていたのかもしれない。
声を聴かなくなったとディアッカは思う。アスランの声を聴いていない、と。口数が減ったということもあるが、まるで声を出すことを拒絶しているように、唇は閉ざされている。きっと、一言ぽろりと零してしまったら、止められない感情があるのだ。どこに向けたらいいのか分からない溢れる波は巨大すぎて、抑えることなど出来はしない。それを分かっているから、アスランは何も言わないのだろう。だからディアッカは、何も言わないアスランの代わりに、嫌なものは嫌だと吐き出している。
隣を歩く肩は細く、頬は白い。脆さばかりが目立つ少年に、大丈夫か、などと言えるはずもなく。ディアッカは、なんだか泣きたい気分だった。
「・・・ここだよ」
ふいの呟きが聞こえ、足を止める。パトリック・ザラとレノア・ザラの名を刻む、冷たい墓標が眼に入ってきた。
アスランの父親、パトリック・ザラ。プラント国防委員長から評議会議長となった人。為政者として常に厳しさを湛えていたその人の最後は、部下による幕引きだったと聞いている。そして、ユニウス・セブンで命を落としたレノア・ザラ。後に血のバレンタインと呼ばれるようになったユニウス・セブンの悲劇がなかったら、戦争という最悪の事態は、起きなかったはずだ。
「父上・・・母上・・・お久しぶりです」
両親の名を暫し見つめていたアスランが、その場に膝を折った。手に持っていた白百合の花たちを、墓標の前にそっと置く。白い花弁が、小さく揺れた。
「・・・俺は地球に行きます。また当分、ここには来られない親不孝な俺を、許して下さい」
アスランの静かな語りに、ディアッカは耳を傾ける。決して応えを得ることの出来ない、一方通行の親子の会話を、一歩後ろから見守った。
「戦争・・・終わりました。繰り返されてしまった愚かな過ちが、ようやく終わりました。本当に愚かです。俺も愚かで・・・父上と母上の息子なのに、俺はいつも道を見失ってばかりで、迷ってばかりで情けないです・・・」
微かに声が、震えを帯びていた。ここに来るまでの友たちの前では見られなかった震えは、やはり愛する両親ゆえだろう。父さん、母さんと呼べる人は、どこにもいない。友と両親の死。その現実が、戦争の悲劇だ。巨大なうねりに呑み込まれた世界を待っていたものは、沢山の涙と憎しみであり、決して幸せだと胸を張れる未来ではない。停戦という脆い絆を確かな力に変える努力は、始まったばかり。未来の再出発である。その再出発の地を、アスランは自分自身で決めてはいない。決めることさえ、出来ていない。
アスランの言葉が途切れる。広い鎮魂の丘で、ぽつんと二人の音が無くなった。街の喧騒は遠い。応えのない冷たい石へと、白い手がそっと伸びる。母の名前をゆっくりと、その白い手が追う。
その姿に、ディアッカの涙腺が崩れそうになった。泣く、ということはあまりないのだけれど、彼のオーブ行きが決まっていることもあるのかもしれない。考えるよりも先に、体が動いていた。母の名を追う指に己の手を重ね、少しばかり強引にその身を両腕で抱き締める。急に体の向きを変えられたことに、アスランは土を覆う草の上にぺたりと座り込むことになった。
「ディアッカ・・・?」
驚きを含んだ声音に、ディアッカは自分よりも小柄な少年の肩口に顔を埋める。
「・・・お前さ、オーブ行くの止めろ。お前一人だと、危なっかしくて駄目だ。自覚あるだろ、迷うって。お前が迷ったって、俺らがいるじゃん。俺らが傍にいれば、一人でグダグダ迷わせない」
「・・・グダグダって酷いなぁ。別に俺一人じゃないよ。カガリもいるし・・・」
「カガリってさ・・・。お前、これからアスハ護っていくのかよ!また護衛にでもなるんなら、そんなん止めろ。プラントに・・・俺らのところにいろよ」
「ディアッカ・・・」
「だってそうだろ?何でお前がオーブに行くんだよ。オーブに行くのは、あいつらじゃんか」
細い体に縋るように腕を回したディアッカの耳元で、アスランの諦めにも似た吐息が漏れた。小さな子供をあやすように、背中をぽんぽんと叩かれる。
「俺も本音を言えば、プラントにいたい。ディアッカやイザークがいれば心強いし、シンたちのことも気になるし・・・」
「だったら・・・!プラントにいろよ!評議会は、お前にオーブに行けって言ってねぇじゃんか!」
「うん・・・。評議会からは直接何も言われてないけど、ラクスとキラの考えに頷いたってことじゃないのかな。ザフトを二度離反しているし、父のこともある。俺はプラントに必要ないし、お荷物だよ」
「・・・バカ!そんな言い方すんなよ。俺もイザークも、お前が必要で大切なんだ。プラントの考えなんか、関係ねぇのに・・・」
高ぶる感情と崩れた涙腺。ディアッカの視界がぼやけた。涙が出るほど、悔しい。涙が出るほど、何も出来ない自分が情けない。涙が出るほど、腕の中の人が大切。
じんわりと滲む世界に、抱き締める腕に力を込めれば、再び背中をぽんぽんと叩かれた。
「ありがとう・・・。そう言ってもらえると嬉しいよ。ほら、立って。せっかくここに来たんだから、父上と母上にお前の顔をちゃんと見せて欲しい」
立つ立つ、と急かされ、ディアッカは沈み込んでしまった腰を、ゆっくり上げる。両手をアスランから離すと、彼が首を傾げ笑った。
「お前が泣くことないのに・・・」
「・・・うっせーよ」
短く言い放てば、アスランは苦笑を滲ませながら立ち上がった。見上げてくる碧に、少しだけ影が強くなる。
「俺のことで、ディアッカたちが気に病む必要はないんだ。心配してくれるのは、凄く嬉しい。でも大丈夫だよ。迷ってばかりで、これからも迷うだろうけど、俺なりに頑張る」
「お前の大丈夫はアテになんねぇし、頑張るってどうすんだよ。そのままオーブに骨、埋めるのか?」
「どうだろう・・・。オーブじゃない他の国に行くかもしれないし、分からない・・・」
淋しさを乗せた科白が落ちる。これから先のことなど、アスランにも分からない。もちろんディアッカにも分からない。二度のザフト離反とはいえ、今回はギルバード・デュランダルが望み、実現しようとした世界のゆがみに気付き、議長である彼に背を向けた結果である。プラントを裏切ったわけではない。それは最初の大戦の時も同じこと。しかし、軍に所属する者として、離反はやはり重罪であることに変わりなく。ただ、処遇はプラント追放までにはいたらないものになるのではないか、という話が出ていた。アスランは、パトリック・ザラの息子であるが、父親のような狂気とは無縁だ。プラントを想い、プラントのために戦ったアスランを、知る者は多い。同情論がなかったといえば嘘になる。評議会としても、どういう形の結論を出したらいいのか混迷をしていたのが、本当のところだ。そこへ、ラクス・クラインからの提案が飛び込んできたのは、言うまでもない。
オーブへ。
強硬なザラ派のことを考えるのならば、プラントでは落ち着かない立場となってしまう。ならばオーブへと。ラクス・クラインの唇は語った。
そんなもの―――。
そんなものは、どうとでも言える。ディアッカは悔しくて堪らない。歌姫の語る未来は、綺麗で心地いいだろう。けれど、ディアッカにはそんな心地良さなど必要なくて。必要な人は宇宙から去り、必要ではない人を宇宙は迎え入れる。笑えない冗談は、願い下げだ。
唐突にディアッカは体を九十度折り曲げた。
「こいつのことは、俺たちが絶対プラントに戻れるようにします。約束します。何時とは言えませんが、約束します。こいつが笑ってプラントで暮らせるようにします。それまで、待っていて下さい」
ザラ夫婦の墓標へ深く頭を下げ、ディアッカは強く誓う。終戦を迎えたばかりの政局で、ザラの名を煩わしく思う者もいれば、二度の離反を持ち出す者もいる。そんなことは分かっている、百も承知している。
だけど、放っておけないのだ。迷ってばかりで情に流されやすくて、とても脆いヤツを、放っておけるはずがない。アスラン・ザラがアスラン・ザラとして、プラントで生きて行けるよう、居場所をつくる。安心して穏やかに笑えるよう、居場所をつくる。それがディアッカたちの誓いだ。
「・・・ありがとう。そこまで言ってもらえて嬉しいよ」
曲げていた体をピンと伸ばしてアスランを見れば、遠慮がちに笑みを口元に浮かべていた。
「バーカ。んなのは当たり前で、お前がもっともっと嬉しいって思うことするからな。覚悟しとけよ」
白い歯を覗かせれば、アスランの表情が柔らかくなる。不安も悔しさも諦めも、口に出したところで、現実は少しも変わりはしない。ならば、自分たちが動けばいいこと。未来を見据えて考え、動けばいい。そんなディアッカの気持ちを感じたわけではないのだろうが、アスランが両親へと姿勢を正す。
「父上、母上・・・。また来ます。必ず来ます。ディアッカたちに頼るばかりじゃなくて、自分でプラントへ帰る道を作ります。だから・・・待っていて下さい」
涙の別れではなく、約束をしての別れ。アスランが何かを振り払うように、大きくかぶりを振った。
「さて・・・戻ろうか」
「ん・・・?もう、いいのか?」
「うん。父上や母上、ニコルたちのところに来られてよかったよ。付き合せてごめん」
「そんなの気にすんなって。ニコルたちも、お前の顔が見られて喜んでるさ」
そう言って、ディアッカは静かな眠りの丘を見渡す。土地に限りのあるプラントだが、ここの場所は特別だ。ユニウス・セブンの二十四万人もの御霊と、戦場で散った御霊に安らぎを、と祈る丘。時がゆうるりと流れる丘は、夕焼け色に染まり始めている。
コーディネーターなら、たとえ人工だと分かっていても、好きだと思う陽の光が、どこまでも優しくこの地を包む。広い広いなだらかな斜面は、散った尊き同胞たちを、少しでも安らぎへと導いてくれるだろうか。苦しみながら命を落としていった者たちは、穏やかさを取り戻しているだろうか。
だから、祈る。安らかに、と。平和な世を、と。
ディアッカは、もう一度、心の中で語る。ニコルやミゲルたちに届くように語る。
―――戦争、今度こそ終わったって思っていいよな。三度目は絶対にない、そうだよな。
二度の過ちだ。繰り返さないという誓いを、再び誓う自分たちは、とても愚か者だ。安らかに、と祈りながらも、その安らかさを与えられなかった愚かさを、誰もが忘れずにいれば、三度目など起こりようもない。
地球よりも薄いオレンジ色に眼を細め、ディアッカがアスランに歩みを促そうとした時。
それは視界に入り込んで来た。
アスランも気付いたのだろう。息を呑む、微かな緊張が伝わって来た。オレンジの中にあって、その色は周囲に溶け込むことはなく、浮き上がっている。いつもならば尊敬を持って接する、その色。
しかし。
どんな色にも染まることのない貴き純白は、「彼」が身に纏っていることによって、とても苦々しく感じる。
決して速くはないが、真っ直ぐに近づいてくる。五月蝿くなった心臓の音。輪郭がはっきりと分かる前に、ディアッカはアスランを隠すように体を動かした。 キラ・ヤマト。
彼がザフトに入隊するなど、誰が想像しただろう。本人でさえ微塵も思っていなかったはずだ。なのに、何の疑問もなく罪悪感などあろうはずもないといった顔で、隊長服を着ている。せりあがってくる不快感に、ディアッカはこの場から立ち去りたかった。
「・・・アスラン、行こう」
ちらりと後ろを見るようにして言えば、彼は苦しげに眉根を寄せていた。
「アスラン?」
「・・・ディアッカ。俺・・・」
泣きそうに不安そうに、弱々しい碧の双眸と出会った。アスランにとって大切な幼なじみは、いまや恐ろしい存在になってしまっている。追いつかず処理しきれない感情に押し潰されそうで、ただただ怖い。
「・・・俺、駄目だ。キラがいるのに、黙ったままなんて出来ない。何か、自分でもよく分からないけど、いろんなこと叫びそうで、自分が抑えきれないかもしれない」
ゆらゆらと彷徨う瞳は、アスランの気持ちそのままだ。本当に外に向かうだけで、抑えられないうねりがある。ディアッカにもそれが痛いほど分かるから、アスランに答えを示した。
「そっか・・・。じゃあ叫んじゃえ。俺がいるんだ、大丈夫だって。幼なじみだろ、遠慮することないじゃん。ちゃんと、お前の思ってること言った方がいいそ」
「でも・・・」
「でも、はナシ。言いたいこと、あるんだろ?まだ言ってないんだろ?だったら、ちゃんと言うこと。その方が、相手の反応も分かるしさ」
泣きそうで泣かない少年を諭すように言えば、こくりと頷きが返ってきた。
「大丈夫だよ。俺はお前の味方だからな。安心して叫びまくれ」
これからオーブへ行くアスランの、沈みがちになる気持ちを少しでも軽く出来るのなら、溜め込んでいる言葉を吐き出させた方がいい。もちろん、言う言わないは本人が決めることだけれど、それをぶつける相手がここに来たのだ。ちょうどいいではないか。
苦しそうな表情は消えないが、アスランは己の心に従うようだ。こちらに向かって来る男を、真っ直ぐに捉えていた。
かさり、と音がする。二人から少し距離を置き、キラ・ヤマトの歩みが止まった。
絡み合う視線とは裏腹に、誰も言葉を発しない。ディアッカは、お世辞にも「似合っている」と言いたくはない白い服の男を睨む。が、睨まれた本人は少しも動じる様子はない。ただ、熱い眼差しがディアッカを通り越して、アスランへと注がれている。
幼なじみ―――。
彼らだけが持っている懐かしい記憶と、深い繋がり。小さな子供時代と同じように、彼らが離れることなく、軍とも関係のないどこかで生きていたのなら、こんなことにはならなかったはずだ、ということが多すぎて。今回のこともその一つで。けれど、もしもの話しなど、所詮慰めでしかなく。ディアッカは溜息混じりでアスランを見る。何かに耐えるように、きつく結ばれた唇。白い頬が、より白い。あぁ、やっぱり泣きそうだ、と思った。このままここに立っていたところで、アスランが精神的に追い詰められるだけだ。安心して叫びまくれ、とは言ったものの、やはりディアッカはアスランの歩みを促すことにした。
「・・・アスラン」
「ここが・・・」
ディアッカの小さな呟きに重なるように、キラが声を発した。
「ここが・・・アスランの小父さんと小母さんの、お墓なんだね」
キラの眼が、並ぶ二つの墓石を映す。全ては地球軍のユニウスセブンへの核攻撃から始まった。戦争を始めるのは簡単だ。一発の銃声でさえ、その引き金となる。しかし、簡単に始められる戦争は、簡単には終わらない。
戦って戦って、沢山の人の命を奪って奪われて、宇宙を血に染めて―――。
憎しみも怒りも悲しみも諦めも、戦火の中に溢れていて―――。
アスランのように、両親を失った子供も多くいれば、我が子を失った親も多い。この丘は、懺悔の場でもあり、平和を誓う場でもある。
ここは、コーディネーターが眠る場所。
ここは―――。
プラントを愛した人たちが、眠る場所。
キラが両手で抱えていた淡い色の花たちを、アスランの両親へ手向けようとした時。
「・・・いらない」
「「・・・・・・?」」
アスランの低く短い科白に、四つの瞳が彼を捉える。冷たさの微粒子に支配された、アスランの色とぶつかった。
「アスラン?」
「いらない。お前からの花なんかいらない。持って帰れよ・・・」
キラを拒絶する低音に、言われた本人は戸惑いを隠せないまま、花束を置くことさえ出来ないでいる。
「何でここに来たんだ・・・」
「何でって・・・。ここは、僕が殺した人たちが眠っている。亡骸がないのは分かっているけど、ここに来たかった」
アスランへの応えを返すキラは、停戦までの長い長い戦いを思い出しているのか、とても哀しげだ。しかしアスランは、そんなキラを気にした様子もない。
「そう・・・。お前がここで何を思うのか知らないけど・・・」
アスランの言葉が途切れる。処理しきれない、激しいうねりを抑え込むように。いつの間にか水の膜で覆われた両目から、それが零れないように。大きく息を吸い込む。
「・・・その制服を着てここに来ていいのは、プラントを愛している者だけだ!お前じゃない!」
叫んで堪えきれなくなった透明な雫が、アスランの頬を濡らす。溢れるばかりで止まることをしらない液体は、アスランの心そのものだ。
キラとアスラン。
ディアッカは口を挟むことなく、彼らを見つめていた。
「お前はプラントを愛していないだろ。プラントのために戦ったわけじゃないだろ。お前はオーブ軍で・・・ザフトは敵なんだろ?なのにどうして、平然とザフトに入ることが出来るんだよ!俺には・・・理解出来ない・・・」
泣きそうで泣くことのかなったアスランの涙に、キラの唇が微かに動くが、音を伴うものではなく、黙して親友の爆発した塊を受け止めている。
「・・・連合、オーブ、ザフト・・・。敵同士の軍全部に、所属したことになるんだよな。過去にだっていない、そんなヤツ。オーブ軍准将として戦っていた誇りはどうしたんだ?これが戦時下だったら、敵に寝返ったことになるって、ちゃんと分かっていてのことなんだよな?」
ぽたりぽたりと落ちる水滴はそのままに、アスランの眼はキラから外されることはない。それはキラも然り。仲の良い幼なじみ、という形容詞すら、今の彼らには遠い響きとなりつつある。否、彼ら、ではなくアスランと言った方が正しいだろうか。何も言ってはくれない白服の男が、憎く思える。オーブへ行くことよりも何よりも、キラのザフト入隊が、アスランには理解の範囲を超えすぎていて。その事実を耳にした時、あまりにも淀みなくザフト入隊を告げる幼なじみに、驚きより疑問ばかりが浮かび上がった。

どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?

それは疑問でもあり、不信感でもあった。ザフトに入隊し、一体何をしようとしているのか。何か目的でもあるのか。素直に「はい、そうですか」と頷くことなど出来るはずもなく。
オーブは世界に対し、中立という自国の理念を掲げているが、プラントはプラントを優先し護る。プラントのために、世界にどうあるべきかを考える。もちろん世界のために、プラントはどうあるべきかも考える。キラに、そういった概念はあるのだろうか。
―――あぁ、そうか、とアスランは思う。
キラは最初から最後まで、軍人ではなかった。軍人としてモビルスーツに乗り、戦場にいたわけではないのだ。個人としてそこにいた意識が強いのだろう。だから簡単に、オーブ軍の制服を脱ぎ捨て、ザフトを選ぶことが出来る。が、ザフトは個人ではなく組織であり、プラントを護る盾だ。一体どんな思惑をキラが持っているかなど、アスランにはあずかり知ることではないが、少なくともラクス・クラインの存在が大きいと容易に想像がつく。
恋人同士。
アスランは唇を噛み締める。恋人同士ならば、何をしても許されるとでも言うのか。男も女も、ザフトを批判し続け、個人として戦っていたというのに。
「・・・俺は馬鹿だから周りに流されやすくて、いつも後悔ばかりしてる。ザフトも二度脱走してる。自分の意志で軍に入ったのに、脱走繰り返してプラントを護ろうとして、結局何も出来なくて何も護れなくて、モビルスーツで沢山の人を殺すことしか出来なかった。でも俺はザフトを裏切るなんて、考えたことなかった。本当に今更の言い訳だった分かってる。分かっていても、苦しくて苦しくてどうしようもなくて・・・。なのに、今度はお前がザフトだ。お前、苦しくないのか?オーブ軍として戦っていたのに、ザフトに入ったこと、苦しいと思わない?それともキラとラクスは特別?お前とラクスのやることは、全てが正しくて全てが正義?」
「アスラン・・・。それは違う。僕もラクスも、自分たちが正義だと思っていない。ザフトへ入ったのは僕の意志だ。オーブも大事だけど、プラントも大事なんだ。オーブにはカガリがいる。僕は、君が美しいっていった プラントを護りたいって思ったよ」
「護る・・・?何で・・・?今更だろ?ラクスがいるからって、言えばいいじゃないか」
「アスラン、そうじゃない。違うんだ」
「違うって何?何が違うんだよ・・・!俺には・・・分からないよ・・・」
弱々しくかぶりを振る姿は、キラの言葉を拒絶するようにも見える。事実、そうなのだろう。二人の間には、敵として戦っていた時以上の壁がある。アスランに、自分の気持ちを吐き出せと言ったディアッカだが、通わない心はいくら話しをしても、通い合わないままだ。擦れ違いよりも大きな溝は、きっとこれからも続く。涙で真っ赤になったアスランの眼に、ディアッカは笑みを向けた。
「お前、やっぱ泣き虫だな。で、悪いんだけど、先に車に戻っててくれる?」
「ディアッカ・・・?」
「俺も新しい隊長サンと、話しがしたくてさ」
「話し・・・?」
「そうそう。お話しね。別にケンカしようってわけじゃないんだ。俺も直ぐに車に戻るよ」
軽く方を押すと、アスランは突然の申し出に困惑を浮かべ、ディアッカとキラを交互に見る。物言いたげに袖を引かれるが、ディアッカはあえて無視をした。
「すまねぇな。先に行っててくれ」
やんわりと、これ以上は聞くなと含んで言えば、アスランが眼を伏せ頷く。素直に歩き出した彼に、キラから紡がれる声はない。伝えきれない気持ちを、じっと堪えているようでもある。
ディアッカは、アスランの背中が丘を下り小さくなってから、ゆっくりと口の端を上げた。相手を挑発するには、充分なそれだ。
「・・・アスランともっと話しがしたかっただろうけど、勝手言ってすまなかったな」
「別に・・・僕は何も言っていませんし・・・」
「だよなぁ。ごもっとも」
シニカルな笑みに、キラの眉根が寄せられる。オレンジが深みを増した中、二人の男の舞台が始まった。
「僕に話しがあるんですよね。何ですが?」
「ん〜。まぁ、アスランと同じって言えば同じなんだけどね。あ、それと、花。アイツはああ言ってたけど、手向けるくらいいいんじゃないの?黙っといてやるし。てかホント、見計らったように、ここに来たのな。俺らがここにいるって、知ってたワケ?」
「・・・そんなことありません。本当に偶然です。僕も二人の姿に気付いて驚きました」
言いながら、キラは持っていた二つの花の束を、アスランの両親の前へと置く。彼に拒絶された花たちは、少し淋しげに見えた。否、それはキラの心かもしれない。大切で大切で、誰よりも好きな幼なじみからの拒絶。頭の片隅で、もしかしたらと思っていたことではあったのだけれど、やはり本人から言われると、どうしようもなく淋しい。
「・・・アスランが、あんなに泣くなんて・・・思っていませんでした」
「へぇ〜。だったら、どんな反応を期待してた?アイツに、ようこそザフトへ、とでも言って欲しかった?プラントを頼む、とでも?」
「いえ・・・そうではなくて・・・。僕がザフトへ入るって行った時に、アスランは、そうか、としか言わなかったから・・・。あぁ、でも本当は、ザフト入隊を伝えてから、避けられてるなとは思っていたんです。それにアスランには、オーブ行きを決定事項にしましたから、いろいとろ納得出来ないだろうし、嫌われたかなって思っていなかったわけじゃないんですけど・・・。やっぱりあれだけ激しく泣かれると、本当に嫌われたんだって思います」
「嫌われたねぇ。まぁ、アンタがアイツのことをどう思っていようと関係ないけど、俺アイツの味方だから、アイツを泣かせるヤツは嫌い」
さらりと迷わず嫌いと告げれば、正直ですねと応えが返ってきた。
そう、嫌いなのだ。
アスランが泣いてしまう原因を作った奴は嫌い。
そして、ディアッカの理解を超えた行動をとる奴は、気持ち悪くて嫌い。
二年前、アークエンジェルを旗艦として共に戦った奴に変わりはないが、嫌い。
嫌いだと断言出来てしまうほどの理由がある。ディアッカは空を仰いだ。
「ちょっと前まで敵だったザフトの制服の着心地はどうよ?白ってのはさ、隊長クラスがきるんだよね。もしさ、自分は隊長に相応しいなんて思っているとしたら、吐き気がするよねぇ。それに、アイツも言ってたけどさ、オーブ軍辞めてザフト入ったこと、苦しくねぇの?アークエンジェルの奴らには、何て言ったんだ?あぁ、でもアークエンジェルさんは、キラくん頑張って、とか言いそうだし。ミネルバ撃っといて、ザフトで頑張りますってのはアリなのかよ」
相手を挑発する言い方はわざとだが、何食わぬ顔でオーブの軍服を脱ぎ捨てた男には、ちょうどいい。紫電がきつく光った。
「・・・何が言いたいんですか?」
「何で白服着てんの?」
「・・・・・・・・」
問いに問いで返しながらも、ディアッカはキラからの応えを待たずに続けた。
「俺の言いたいことだよ。アンタ、何で白服着てんの?戦争終わらせた功績?ラクス・クラインの口ぞえ?それとも、アンタが望んだこと?さすがにアンタが望んだってことは無いんだろうケド、功績うんぬんで白ってのも、図々しいよねぇ。やっぱ、ラクス・クラインが出張ってきたってのが正解?」
ストライクフリーダムとラクス・クラインという盾だけではなく、ザフトの白服をも手に入れた男。この男がザフトで部下を持つというのか。「ヤマト隊長」と呼ばれるというのか。
この男が、プラントを愛しているというのか―――!
始めから約束されていたであろう真っ白な色。貴い色であるはずのそれは、プラントを愛していなくても、ザフトに忠誠心がなくても、実に簡単に手に入れることの出来る灰色となってしまった。所詮、勝利者が笑う世界だ。勝利者の好き勝手には目を瞑れ、とでも言うのか。馬鹿らしい。そんな傲慢さは、プラントにはいらない。
暫しの無言。対峙する二つの影。ディアッカの瞳の奥に、何かを読み取ったのか、キラの唇が動いた。
「・・・ラクスは何も言っていません。僕が自分の意志で決めたことです。僕は僕と同じコーディネーターが造ったプラントが、どんなところなのかも、ここに住んでいる人たちの想いも、よく知りませんでした。アスランが月からプラントへ引っ越したことだけが、僕とプラントを結びつける、ほんの小さな関係でしかなくて、ユニウスセブンでアスランのお母さんが亡くなったことも、アスランが軍に入隊した憎しみも哀しさも、知らなかった。知らないまま、僕はアスランと戦っていました・・・」
キラは少し俯き、幼なじみに抱く特別な心の動きを隠しながら、ゆるやかに紡ぐ。
「二度目の戦争が終わった時、僕は一人のコーディネーターとして、プラントに立ちたいと思いました。平和を考えるのは為政者であって、僕は為政者じゃない。確かに戦争を終わらせたいと強く思っていましたけれど、それは誰もが同じで・・・。アスランは、その想いも願いも、誰より強いんです。プラントのために、世界のために、沢山悩んで沢山傷ついて泣いて。傷ついて泣いた原因の中に、僕もいて・・・。僕は僕の言葉に頷かないアスランを、随分責めたから・・・」
「で、アンタがプラントに残って、白服着ることに頷かないアイツがイヤになった?一体、何が言いたいんだよ、はっきり言えば?」
キラの個人的な想いなど、どうでもいい。ディアッカの欲しているものは、明瞭な答えだ。紫と紫のぶつかり合い。二人だけの舞台のクライマックス。 「・・・言いたくない?それとも言う必要もない?自分の意志でプラントに残ってザフト入って白服?なんだ、その意志?アンタのよく分かんねぇ意志一つで白服着れるんじゃあ、ザフトのお偉いさんは腑抜けばかりだ。じゃあ、質問を変える。なんでザフトなんだ?コーディネーターうんぬんの前に、連合だっていいわけじゃん。ザフトが良くて連合が駄目、なんて言わねぇよな」
オーブ軍からザフトへ。ならば、オーブ軍から連合へという選択肢もあるはずだ。しかし、キラから「連合」の文字は出ていない。ラクス・クラインがプラントへ戻り、その恋人であり元オーブ軍准将はザフト入隊。キラは自分の意志だと言っているが、中立を掲げる国の軍服を着ていた意志とやらは、一体どこへいってしまったのか。キラ・ヤマトもラクス・クラインも、信頼するには値しない。そんなにころころと変わってしまう意志を持つ者を、どうやって信じろというのか。
ぶつかり合ったままの目線はそのままに、キラの口の端が上がる。実に面白い、と言わんばかりのそれだ。
「・・・なんだよ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「いえ・・・。本当に周りが神経質になっているだろうことを、はっきり言ってくれるなぁと思って」
だから何が、と少々ムッとしたディアッカに、キラはうっすらと笑みを返す。
「連合、ですよ。オーブの軍服を脱ぎ、プラントへ来た僕だ。連合を選ぶことは考えなかったのかって、言いたい人も多いはずです。でも、実際にそれを口に出す人はいない。そういう、口にしたくても出来ない疑問をはっきり言ってくれるのは、あなたやイザークさんたちなんでしょうね。ラクスを迎え入れたプラントが、僕を拒むことはないと思っていたのは確かです。でも、僕はアスランの愛しているプラントを、僕自身が護りたいと思ったのは本当です。連合にいたら、プラントを護ること自体が難題だ。こんな僕でも、いろいろと考えているんです。もちろん、アスランのことも・・・」
考えているんです、と結んだキラは、幼なじみに与えたい未来の形を思い描いていた。
今まで掲げてきた正義には、何の柵も立場もなく。が、今度は固定された立場から、兵をを掲げようとしている。
結局、コロコロ変わる意思ではないのか、とディアッカは口の中で呟く。理由など、なんとでもいえる。こちらの沸点が超えたところで、相手は涼しい顔を崩しはしない。腹の底など、見れはしない。怒りをぶつけた分だけ、疲れるだけだ。キラ・ヤマトとラクス・クラインのために、ザフトや評議会があるのではない。プラントは、コーディネーターの故郷であり、安らぎの地だ。彼らの好きにはさせない、させはしない。
「ふーん。いろいろ考えて、連合じゃなくてザフトねぇ。なんだかなぁ。で、いろいろ考えているわりには、アスラン泣かすのな。アイツ泣かせたままオーブ行かせて、本当にいいのか?本当にアイツのためのことなのか?」
「僕には、描いた未来がある。誰に何を言われようと、アスランを泣かせてしまっても、形にしたいものがあるんです。そのために・・・いえ、それからも、ここにいたい、きっと・・・」
そう遠くない未来の話しです、と。
結ばれた響きに、ディアッカはその意味を探るように、相手を見る。表に出てきている、それらしい言葉の羅列の裏に、隠れている何かが存在する。キラ・ヤマト、そしてラクス・クラインにも共通する何か。
その「何か」のために、彼らがプラントへ着たというのならば―――。
面白いじゃないか。
何だか分からないけれど、受けて立つ自信はある。
「俺はアイツの味方。何度でも言うけど、アイツの味方だかんな。アンタが勝手に夢見る未来がどんなものなか、俺には関係ねぇけど、そのためにアイツ泣かせてんのなら、そんな未来いらねぇよ。こっちからお断りだ。まぁ、アンタにはラクス・クラインっつー後ろ盾があるもんな。俺らがどう足掻いたって、高みの見物かもしれねぇけど、俺らは―――」
足掻くぜ。
足掻いて足掻いて、足掻きまくってやる。
ディアッカは右足を踏み出した。
「悪かったな。立ち話して」
キラを残して丘を下りる。世界に停戦は訪れたが、プラントは嵐の前の静けさ、といったところか。
「さてと、まずはお手並み拝見といきますか」
ディアッカの口元が緩んだ。





町に灯り始めた明かりも、この丘までは届かない。キラはザラ夫妻の墓標の前から動かずにいた。アスラン・ザラというキラにとって、世界で一番大切な人をこの世に与えてくれた彼の両親に、深く頭を下げる。
「小父さん、小母さん・・・。僕は僕のやり方でアスランを幸せにします。たとえ今、嫌われても憎まれても構わない。だから見ていて下さい。僕はアスランを、プラント最高地位の椅子に座らせてみせます―――」
宵闇の丘に、白がなびく。静かな静かな聖域。そっと祈りを捧げるこの丘で、キラは誓う。
プラント最高評議会議長、アスラン・ザラ。
その名が刻まれる時。
プラントの未来が、夜明けを迎える。